アンチカツマー(笑)

「まじめの罠」にハマっているから、努力が成果に結びつかない
 http://www.j-cast.com/kaisha/2011/11/03112109.html
 狂信的なフォロワーである「カツマー」に持ち上げられた後、「アンチカツマー」に叩き落された勝間和代さん。この経験を通じて見出したのが、素直で従順な人たちが絶対無謬の「お上」からすべての目的を与えられ、その中で暮らす構図が生む「まじめの罠」の存在だ。(抜粋)より具体的には、高学歴にもかかわらず高収入を得ていないとか、頑張っているにもかかわらずつまらない仕事しか与えられていないような人たちです。それは男性でも女性でも同じです。彼らにしてみれば、

勝間和代はまじめに見えない。自分たちのような努力もしていないように目に映る。それでも成果を出しているというのは、何かズルをしているに違いない」

と考えるわけです。


 この記事でちょっと気になったのが、自分を嫌ってる人間の典型的なパターンのひとつを挙げるなら「これ」じゃないだろ!である。例えば自称「永遠の19歳」のひろゆき氏的な、がんばらない青年実業家というか、才能の無駄遣いを厭わない自由人みたいな感じの愛すべき天才というか、それらを支持する非リア充orネット住民たちのことじゃないのか。「まじめ」で「努力」している勝間和代氏にとっては、目の上のたんこぶなのが「ふまじめ」で「努力」していない連中ということで(笑)

 成功者を「ズルをしてるに違いない」と攻撃・・・

 えっ?成功者だったの?という疑問はさておき。ボクが思ったのは、このプロファイルを筆頭に挙げるしたたかな狡猾さに脱力感がぬぐえないことだ。これを読むと、まるで努力すれば必ず報われるような教本に仕上がっているじゃなイカ。私のように「罠」にハマらなければ、本来まじめは素晴らしいものだとか。さて、こういった人生は、本当に幸せな人生なのでしょうか?けっきょくアンチは不幸せの典型という落としどころになっているんだからすごい・・・

 そもそも「成功者」が正論を吐く滑稽さはなんとかならんのか。きっとネタポストにマジレスする滑稽さを笑ったことがないひとなのだろうけど。つか、自分を嫌う人たちを分析するまえに自分自身が嫌いな人たちを挙げていけば済むことじゃないのかなあ。なんでこんな当たり前のことを、まわりくどい言い回しで小難しくお勉強しているのか不思議すぎる。それと、これはビジネス本にありがちな追伸として、いちいち震災前と震災後を比較してるテンプレパートって、いつまで牽強付会していくんだって感じですわよー