日常の幸せ(personal happy)

 いま、そこにある奇跡、を提案してみる 

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 「ペットボトルのフタが落ちて、表向きに着地した瞬間の喜び


 仕事に疲れた方、日々のルーチンに飽き飽きしている方、ちょっと足を止め、休憩してみてはいかがでしょう。ギャンブルが好きな方も、そうでない方も、神に見放されたと嘆いている方も、この広い世のなか、どんな人間にも奇跡はやってくるものです


 それを自覚するか、無自覚のまま通り過ぎていくかは観測者の目線しだい。いわゆるシュレーディンガー博士の猫みたいな思考実験というのは、私たちの身のまわりでも十分起こり得ることですよね。フタを開けてみなければわからない、現実の恐ろしさは表裏一体にある。禍福は糾える縄の如し、Sadness and gladness succeed each other. そんな神のいたずらに勝利したときの喜びこそ、至福に満ちた瞬間といえるかもしれません。「笑いの定義は勝利の歌である。それは笑い手の笑われる人に対する瞬間的な、だが、忽如として発見された優越感の表現である」とは、フランスの劇作家マルセル・パニョルの言葉だそうですが、この場合の「瞬間的な優越感」もまた同質のものではないかと私は思います。神からの挑戦を受け取り、それに勝利した美酒の余韻ぐらい、大いに笑いころげてやろうじゃありませんか


 

 「1円を落として、拾うコストは1円以上かかる」という天竜人のような富裕層の方にとっては、床に落ちてフタが汚れたら、新しいペットボトルを買えばいいじゃないかと考えるかもしれませんが(妄想)しかし我々下流社会の人間にとっては、汚れたフタを水道水で洗い流すコストもバカにはできなかったりします

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 上記の写真はあくまでイメージですが

 こんな感じで、例えば、机とか冷蔵庫とかの下のほうに転がって行ったときに「表」だったらどうでしょう。屋外だったら尚のこと3秒ルールだけでは守れないものがそこにはあります。これも立派な奇跡体験ではありませんか!



 まさに、不幸中の幸い

 ・・・ああ、こうならなくて良かった
 

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